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第3話:投資はギャンブルじゃねぇ

Author: 月亭脱兎
last update publish date: 2026-08-26 09:35:47

 目の前には、ノートとペンと、スマホの証券アプリ。

 九条に渡された革の手帳の最初のページには、ボールペンで力強くこう書かれていた。

 ――「自分のルールを書け。負けたくないなら、まず“|損を減らす設計《リスクヘッジ》”から始めろ。」

 そう言われてまず書いたのは——

 『下がってる時に売らない』

 ……当たり前過ぎる、我ながらアホっぽいルールだ。

 九条をチラッと見ると、身を乗り出してノートを覗き込み、ニヤッと笑った。

「ほう、悪くないルールだ」

 褒められたのが意外だったが、それ以降はずっと手が止まっていた。

 損を減らす? 設計? そもそも、投資にそんなルールがあるなんて初めて聞いた。

「考えても分からないか?じゃあまず、1万円だけ何か買ってみろ」

 ソファにふんぞり返ったまま、九条が言った。

「緊張する必要はねぇ。入門者はとにかく“場数”だ。だが——適当に選ぶなら、今すぐ帰れ」

「……はい、真剣に選びます」

 預かってるお金とはいえ、今の私にとっては一万円でも大金だ。

 息を整え、スマホの証券アプリを開いた。

 慣れない指でログインし、「人気銘柄ランキング」へ。

「今上がってる株……注目されている銘柄」

 つい、検索画面にそう打ち込もうとした時。

「——おい、やめろ」

 九条の声が低く響いた。

「それ、やってる時点でお前は“負け組”だ。『上がってるから買う』は、バカの思考だ」

 思わず手が止まる。

「どういう……意味ですか?株って結局は人気投票みたいなものですよね」

「バカたれ……“上がってる”ってのは、もう他人が仕込んでるってことだ。

つまり、今のお前は“爆発した打ち上げ花火をジャンプして掴みにいこう”としてる。

な?バカだろ」

「……たしかに」

 言い方はキツイが間違ってはいない。

「値動きの結果を見て判断するな。“理由”がなけりゃ、選ぶな。銘柄じゃなく“構造”を見ろ」

 ていうか構造って何?

 まるで経済学の教科書をいきなり開かされたような気分だった。

「じゃあ……こういうことかな」

 私は九条に聞かれないよう、無言のまま有名企業の銘柄を探し始めた。

「正直に言ってみろ。いま、“有名”なのを探してただろ」

「……はい。やっぱり、それが安心かなって……」

 九条は鼻で笑った。

「女ってのは、どうしても“ブランド信仰”が抜けねぇんだよな」

「ちょ……どういう意味ですか?ていうか最近のポリコレって知ってます?」

 九条は腕からロレックスを外すと、指で弾いてテーブルに置いた。

「おまえ正月に、こういう有名ブランドの福袋、買ったことあるだろ?」

「……あります。昔は毎年のように」

「で、中身は?」

「まあ……微妙なのもありましたけど、ブランドだし、損はしてないと思ってました」

「それが“罠”だ。そしてお前はカモだ」

「……え?なんでですか!」

「中身を見ずに“名前”だけで買ったもんに、なぜ満足できると思った? 損してても、“損した気がしない”ように作られてんだよ」

「……」

 確かに、満足できなくて、来年はこそはもっとって思ってた自分がいる。

「株も同じだ。“有名銘柄”を盲目的に選ぶのは、“見えない福袋”に全財産突っ込むのと変わらない」

 九条は目を細めて、低く静かに言った。

「いいか。ブランドは“安心”じゃない。“中身”を読め。それが投資だ」

 その言葉は、どこか私の過去すべてに刺さった気がした。

 銘柄じゃない、知識でも直感でもない。

 構造、つまり”中身”を“視る目”を持て——九条はそう言っている。

 「じゃ、一万円の損害ならハイリスクハイリターンで、これから伸びそうな新興株。

 変動は大きいけど、上がった時の利幅をうまく拾えれば——」

「そんなの選んでお前、早々に死ぬ気か?それは投資じゃなくて|投機《ギャンブル》だバカ」

 答えも教えずに、私の試みを何度も否定する九条に、流石にイラっとした私は

「あのですね……私は1年で10倍にしなきゃならないんです!利回りで言えば1000%ですよ!?そりゃ投機的にもなりますって!」

 つい口を尖らせ、怒りをぶつけた。

「正直、私には時間がないんです。だから、リスクをとってでも攻めるしか——」

「甘えんな」

 九条が睨む。

「その時点で、お前は“数字”の意味を理解していない」

「……?」

 彼はすっと手帳を取り、私の前に数字を書いた。

「投資には”複利”という化物が住む。これを知らずに10倍を語るな」

【100万円 → 年利100% → 翌年200万 → 3年後400万 → 4年後800万】

「毎年100%で回せば、4年で8倍だ。年利60%でも5年で10倍になる。

 つまり複利を活かせば100%×10年じゃなくて半分で到達する。

 いいか? 投資とはこの“化け物を飼い慣らすゲーム”なんだよ」

 そうか、投資元本が増えれば倍々ゲームのように利回りも膨らむ。

 複利……今までそんなこと考えたこともなかった。

「複利がすごいのは分かりました……でも私には一年しか猶予が」

「年を月に置き換えて考えろ、それが数字、投資の構造を知るってことだ。決して無理をするな、的確な方法で元本を増やせ。そして絶対に減らすな」

「でも、投資をしている限り、うまくいかないこともありますよね!?」

「だからこそ、ルールがいる。法律より厳しく、自分が決めたルールは絶対に守れ。それを忘れて『怖い』と思った瞬間、お前はもう負けているんだ」

 その口調には、怒りではなく、どこか真剣な“願い”のようなものがあった。

 この人は、本気で“私に負けてほしくない”と思っている——そう感じた。

「じゃあ……どう選べばいいんですか?」

「簡単だ。観察と仮説だ。たとえば、お前が使って“便利だった”サービスは?」

 少し考えて、私は口にした。

「……宅配アプリの、ABZフード。週3くらいで使ってます」

「よし。それがきっかけで構わない。なら、その会社の業績、ユーザー数、展開地域、ライバルは? IRと四季報も読め」

 私はスマホでその企業を念入りに調べた。

 そして、最近ライバルをおさえて、業界トップに成長中の中堅企業だと知る。

「そしたら、どう業績が推移するか仮説をたてろ」

 私なりに考えて、週末の中間決算で予想より30%超の上方修正と仮説をたてた。

「よし、じゃあ買うか、買わないか、お前が決めろ」

「……買います。1万円分だけ」

 指先が、震えた。

 あの三條も最初はこんな風に緊張したのだろうか。

 画面の「買い注文」ボタンをタップする。その瞬間、胸がドクンと鳴る。

 この瞬間、ついに私は「投資家」になったのだ。

 ——そのとき、スマホに一通のDMが届いた。

 《君の“最初の選択”、見届けさせてもらう。──三條圭》

 その文字を見た瞬間、また少し鼓動が速くなった。

 彼は見ている。この“底辺”からの挑戦の行方を——

 私は、震える手で、ノートの最初のページにこう書き加えた。

《下がっている時に売らない。感情で売買しない。情報で決める。仮説が崩れたら即撤退》

 たった四つ。

 けれど、それが私の“|法律《ルール》”だった。

(つづく)

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